北 木 島

採石場跡
採石場跡
北木島
流し雛 風景

≪石と流し雛の島≫

 

北木島は、笠岡諸島最大の島で、人口も約960人(H26.9)で笠岡諸島有人島の中で最多となっています。

また近年はお笑い芸人「千鳥」の大悟の出身地としても認知されつつあり、島内の飲食店などにはサインが並んでいます。 

 

 北木島といえば、石の歴史が代名詞です。花崗岩の産出と加工が特に栄え、その『北木石』は、香川県産『庵治石』、愛媛県産『大島石』と並び、瀬戸内の三大銘石の産地として称されました。 内陸の道路網が未整備だった時代に、船を利用した海運による納期厳守の取り組みと、良質な大材が評価されたことにより、全国各地だけでなく海外にまでその名を馳せ、かつては一大産地として君臨していたとも言われています。

  その実績としては、徳川幕府が再築した大坂城の石垣、旧日本銀行本店、明治宮、靖国神社

京都の鴨川にかかる五条大橋、その他多くの地で北木島の石が用いられました。現在では安価な輸入石材に押されて採石業は減ってしまいましたが、石材加工の技術を活かし、現在も加工業が盛んです。

 

 現在の豊浦地区・金風呂地区には、表面を削り取られた山々が多く存在し、それらは船で移動中の海上や、生活道路からも見渡すことができます。かつて石材業界を席巻した北木石の栄華・島民の努力の結晶が、そうして山に痕跡として残っています。

 

 また、北木島の流し雛は、和歌山県加太の浦の淡島明神信仰にまつわる行事として300年ほどの歴史があり、旧暦3月3日直前の日曜日に、北木島大浦地区で行われています。毎年時期になるとツアーを実施。毎回大勢の方が参加され、女性の無病息災を願って船を沖に流します。


  流し雛とは、麦藁で作った「空船(うつろぶね)」に、桃の花や菱餅とともに、紙で作った雛を乗せ海へ流すことを言い、流したその年は無病息災でいられると言われる、女性の厄除け行事である。

 『源氏物語』須磨の巻には、光源氏がお祓いした人形(ひとかた)を舟に乗せて須磨の海へ流すという著述があり、原型は遠く平安時代にさかのぼるといわれている。かつては全国各地で行われていた行事だが、岡山県をはじめ今ではほとんど姿を消したといわれている。




北木島について紹介しているサイトを紹介します。

 

『ローカルコミュニティガイド岡山』 …岡山晴れ男の方が、岡山県内の魅力的な場所を尋ね、紹介されています

 

『瀬戸内ファインダー』 …瀬戸内海のキラリと光る、魅力的な場所を紹介する観光情報サイトです。

 

下の地図で、北木島への航路をご案内しています。出発地の港(番号)を選んでください。
地図、左上のアイコン [ⅲ]をクリックすると、メニュー内に 北木島を発着する連絡航路 チェック✓を入れると 行き・帰り区間の時刻を確認することができます。ご活用ください。